●報告「来年は立ち上がることができるか?」
《立ち上がれない者たちのメーデー2008~来年こそ立ち上がるために》は、労働組合からも零れ落ちた寄る辺ない個々人たちのメーデーとして行われた。
不当な低賃金で搾取されていること、過重労働・長時間残業で過労死しそうなこと。それらは間違っても「自己責任」ではないこと。「格差社会」と戦争が人を殺害し続けていること……実はこれらは、デモで叫ぶまでもなく、あちこちの井戸端で普通に囁かれてきたことに過ぎない。誰もが知っていることである。しかし、私たちの多くは、格差の不当や戦争の悪について、知ってはいても、それを是正するために立ち上がることができずにいる。仕事で多忙な日々が、毎日のように発売される新製品を待つ楽しみが、田舎社会のしがらみが、自分自身が「弱者」「負け組」であることを認めたくない恥じらいが、自分は「一人前」でありたいという夢想や目標が、立ち上がることへの面倒臭さが、きっかけの無さや友人と一緒に何かを始めることへの確信の無さが、私たち自身が生き辛い世界に立ち向かうべく立ち上がることを妨げ続ける。半ば不可抗力として、また半ば自発的な「立ち上がれなさ」の中に、私たちは常に留め置かれがちだ。
だから「立ち上がれない者たちのメーデー」は現れる。立ち上がれない(立ち上がりたくもない)仲間たち、恥ずかしがり屋の仲間たち、面倒嫌いで臆病な仲間たちに、自身の不自由を忘れた「自由」なるものの姿と、立ち上がるのも面倒だという気分と、恥ずかしさと、臆病さを、まんま晒しながら、しかしその地点から湧き上がる力が、実は私たちに備わっている可能性を示すために。今年のメーデーには準備が間に合わないことは織り込み済みのまま、来年のメーデーのために。
そしてこの日、この小さな町であっても「立ち上がれない者たちのメーデー」への応答と共感の可能性は、確かに示されたのだ。当初参加者極少数(10名ちょい?)・参加者なのか取材なのか立ち位置の微妙な報道関係者(数名)、そして参加者なのか野次馬なのか判別不能な人々(数える気にならないほど圧倒的多数)によって、狭い居酒屋街の全体がメーデーの予兆と伏線に満ちた空間と化した。途中、煙草に火をつけるために、ちょっとマイクを持っててもらった歩道の高校生は、見よう見まねで勝手に「時給をあげろーーー!」とコールを始め、ものめずらしさに写メで我々を撮っていた姉ちゃんに旗を貸せば、楽しげにブンブンと振り回して見せる。歩道と車道の往来も多く、街の人々とのシンクロ率は、過去最高をマークしたと自負できる。邪魔をしにきた長野県警も、いったい誰に手出しをしてよいものか分からず「これじゃまるでフランスじゃねーか!」と意味不明の逆ギレに終始。
「面倒くさい面倒くさい」とか言いながら始まった「来年のメーデーに向けた移動」は、しかしそれなりに街を巻き込んで、立ち上がれないなりに立ち上がる過程そのものをライブできたように思える。来年は、立ち上がろう。
●野次馬だったような参加者だったような皆様と、
報道記者だったような参加者だったような皆様へのお願い実行委員会としての記録写真撮影が不十分でした。つきましては、皆様の撮られた写真を、ぜひご提供ください。写メおっけー。公開の可否を添えて、下記メアドまで。
e-mail : tatiagarenai @nomasters.com
●後日談
目につく店店を名指し「とにかく時給を上げろ」と叫んだ「来年のメーデーに向けた移動」が終わり、日付が変わった頃、コース上の居酒屋のマスターと常連客から「アレ面白かったから、今からちょっと飲みに来て話聞かせてよ」とお誘いの電話が入り、内心「ワナか?」と怯えつつもノコノコ出かけて行った私を、気のいい仲間たちが歓迎してくれた。 人と都市との関係が秩序の名において次々と断ち切られ、商品と消費の関係だけが肥大化している中で、たまたまとはいえ、自身の行動を通じて、入れる飲み屋が一軒増えたというのが、なんとも嬉しい(マスター、おごり分、ごちです)。松本というショボい都市で、こういう出会い方は、たぶんレアなことなのだ。
●報道について
地元紙が三行広告のようなベタ記事を書くに留まった昨年のメーデーに比べ、今年は信濃毎日・市民タイムス・朝日文化部・テレビ信州・テレビ朝日、NHK長野放送局の取材を受けた。
編集され、実際に流された内容も、「気味の悪いほどに好意的なコメント」によって占められている(これはどうやら京都などの「インディーズ系」メーデーにも共通なようだ)。
もちろん、好意的に報道されることは素直に嬉しいことだし、取材に来たスタッフはいずれも良い友人になれそうな人々だった。また、多くの報道に注目されるほどに、生存を巡る環境の悪化は深刻であるとも言える。なにより各地のメーデーの実行委員会が連絡を交わしながら交流し、つくりあげていった各地の連帯の賜物でもあるだろう。
しかし、一抹のひっかかりを覚えないでもない。
去年には見向きもされなかったものが、唐突に、しかも複数の会社で一律に称賛される現象は、かつてサリン事件の「犯人」として貶めてきたサラリーマンを一転して「悲劇の人」へと祀り上げたマスコミや、申し合わせたように一律に弁護団への悪意の牙をむき出した光市の殺人事件報道のメディアスクラムを想起せずにはいられない。
それがたとえ、「私たち」にとって有利な報道だったとしても、報道の多様性の欠落には、首肯しがたいものがある。手放しに喜んでいると、いずれ足元をすくわれる危険を感じるのは、私の考え過ぎだろうか。
立ち上がれない者たちのメーデー2008~来年こそ立ち上がるために!~
■日時:西暦2008年5月1日(木)18:00〜
■場所:松本駅前公園(松本駅東口出てすぐ)待ち合わせ
■内容
18:00 来年のメーデーのための会議と呼びかけ@路上
19:00 来年のメーデーに向けて移動開始
20:00 交流
■立ち上がれない者たち (080-5141-4694八木)
e-mail : tatiagarenai @nomasters.com
■呼びかけ →ビラ.pdf
メーデーだ。労働組合がデモをやる。でも、組合と縁がない者だって、生き
るために言いたいことがあるし、働けない者だって言いたいことがある。そし
て、いったい誰に対して何を要求すればこの生き辛さから解き放たれるかが
分からず苦しんでいる者だって、言いたいことがある。生きることは無条件に
保障されるべきなのに、それを邪魔する様々な仕掛けが、仕組まれている。
おかしいと思うことが世の中に溢れている。おかしいと理屈で分かっていて
も、それを正すために立ち上がることが困難な気分があって、しんどい思いを
しながら、とにかく割り切って日々を送らないではいられないもどかしさがあ
る。それでも、そのもどかしさの中で言えることがあるはずだ。例えばこんな
ことを、我々は路上で叫んでみたい。
●まず何より、こんなに働かなくちゃ生きていけないのは、おかしい!
●物の値段が、株価やら為替相場やらサブプライムローンやら、何かわけの
わからない謎の仕組みによって支配されているのは、おかしい! そしてとに
かく最近なんでもかんでも高いぞ!
●そもそも、食べ物とか生活必需品とか、生きるために誰でも必要なものに
金がかかるというのが、だいたいおかしい!
●さらに、家も店も、とにかくありとあらゆる居場所にただ居るだけなのに
金がかかるというのは、おかしい! ただ持っているだけのくせに家賃とか入
場料とかむやみに取るな!
●免許を取ったら仕事が増えた。ケータイ持ったらまた仕事増えた。パソコ
ン入れたらまた仕事増えた。ハイテク導入で仕事がちょっと減ったと思った
ら、空いた時間に別の仕事を3つも入れられた。給料変わんないのに、便利に
なるほど仕事が増える。これって便利になってるのか? ホントに?
●しかも、せっかく買ったパソコンが、一生使えないどころか、たった数年
後に使えなくなる(運よく故障しなくてもソフトがなくなる!)のは、なんか
やるせないというか、ほとんど許せない。
●世の中は、仕事見つからない《飢え死に寸前失業者》と、残業・休日出勤
しないと仕事終わらない《過労死直前労働者》ばかり。足して2で割れば、
ちょうど良くね?
●いよいよ困った人のための《生活保護》が、最も困ってそうな野宿者に出
されないのはおかしい! 国や松本市は生活保護をまともにやれ!
●税金取るだけ取って、気に食わないものは片っ端から規制して、わけのわ
からない法律を作り続ける国会や政府はおかしい! というか、奴らは、何か
ら何までみんなおかしい!
●「あいつらが侵略してくるかもしれないから」と言って侵略する《戦争
》、「あいつは人を殺して平気な悪い奴だ」と言って人を殺して平気な《死刑
》。国家は人を殺すな!
「ダメ」と貶められた者たちのメーデー「ダメーデー」を受け継ぎつつ、第
二シリーズ「立ち上がれない者たちのメーデー」が、今、始まる。
立ち上がり、闘う元気も無い者たち、小さな地方都市の片隅で労働組合から
も零れ落ちた寄る辺ない者たちのメーデーだ。今すぐ立ち上がることはできな
いにせよ、伏線を張れ。地底で蠢け。
来年こそ、立ち上がることができるか?!